オアシスからのニュースレター 2013.9

『なぜ、死があるのか?』

 

星野 弘治

なぜ、死が存在するようになったのか

前回私たちは、この世界と私たちがどのようにして存在するようになったことを見た。ひとりの造り主、創造主がおられ、この方によってこの世界も私たち人類も存在するようになった。造られた一切のものは造り主を満足させるものであった。(どうぞ、この出来事をひとつの宗教の考え方だなどと片づけてしまわないで下さい。いま科学の世界で研究が進み進化論の考え方は崩壊しつつあります。さらに、この宇宙は人間が生きてゆくために余りにもうまく出来すぎているので科学者自身が驚嘆しているほどです。そしてついに、この世界と私たち人類の存在は人間の英知をはるかに超えた「知的デザイナー」の存在を認めないでは説明できないところまで来ています。このように、いまトップレベルの科学者たちは造り主からの啓示の書、聖書に近づいて来てきているのですから。)
ところで、創造の当初全てが良かったのにどうして死が入ってきたのでしょう。それは、聖書によると私たち人類の最初の人が自由意志(人格を持っている者の特質ですが)を誤って用いたことから来ているのです。つまり、与えられた自由意志を用いて造り主を愛し、造り主に仕える選択をしないで、惑わす霊に従ってしまったことに由来しているのです。

「死」とは一体何なのか

「死」の正体は「分離」です。いのちを与えた全能者、造り主に従うことをせず「惑わす霊」に従ったため造り主との霊的な交わりが断たれ、その結果霊的な分離、霊的死が生じました。一方肉体的な死は、造り主と親しい交わりを持つようにと与えられた霊と肉体が分離することです。「死」というと、普通この肉体的な死を考えてしまいます。しかし、もしあなたが創造主、造り主から分離された状態にあるなら、肉体的には死んでいなくとも霊的には死んでいることになります。

「死」は永遠への門口となった

私たちを造り命を与えられた創造主は、親が子を愛するように、変わることのない愛をもって私たちを愛しておられます。その証拠に、創造主の御心に背いた私たちのために何と救い主をお送り下さいました。そして十字架につけて私たちの背きの罪も犯してきた数々の罪もことごとく救い主に負わせ罰せられました。この「救い主の身代わりの死」を私の罪のためだったと知り信じるとき、あなたは罪赦された者となり、創造主を「天のお父様」と呼び交わりは回復し、死からいのちに移された者となるのです。そして、肉体的死後永遠の天の御国に入れられます。
しかし、せっかく罪を赦すために救い主を送って下さったにも関わらず信じようとせず拒み続ける者は、肉体的死後裁きを受け永久に創造主から分離され「火の池」に投げ込まれてしまうのです。創造主に背を向けて以来、このように死は永遠への門口となりました。
 あなたは肉体的死後、永遠をどちらで過ごそうとお思いですか。天のお父様はあなたとの親しい交わりの回復を強く望んでおられます。宗教などと言うことではなく。

聖書のことば  
 「創造主であられる主は隠れているその人に呼びかけ、彼に言われた。『あなたは、どこにいるのか。』」(私訳)