オアシスからのニュースレター 2014.8

星野 弘治

『確かな希望はどこに?』

再度「終活」の勧め

先日中新湊の商店街を歩いていたら、商工会議所の設けた灯篭に新湊信用金庫理事長賞に輝いた標語が目に入ってきた。「息子就活、娘婚活、俺終活。」と言うものだ。「・・俺終活」。なるほど、と私も唸ってしまった。

あなたは?この命に終わりがあるとするなら、頭の良いあなたはゆっくりと「終活」について考えることだろう。いや、そう期待する。

常識の落とし穴

「常識の落とし穴」という本を書いた著者山本七平氏は言う。仮説がその通りになるという保証はどこにもない。そこで、「逆の仮説」も考えておくべきなのだが、それが出来ていない。そこで、仮説がいつの間にか常識化してしまう。そして、「常識の落とし穴」に陥ってしまう、と彼は指摘する。

東日本大震災の尊い教訓

3・11の東日本大震災は、今あなたの中でどのように受け止められているだろうか。命は助かったが、今も仮設の不自由な生活の中で何のために生きているのか、先に希望があるのかと真剣に自問しながら生きている人が多いという。

原発の安全神話も含めて、本当に「今までの常識」の落とし穴にはまった感がする。

 

3年たった今、あのような出来事が私には絶対に起こらないと言い切れる保証はどこにもない。今というこの平穏な時に、何のために生きているのか、どこへ行こうとしているのか、確かな希望はあるのか、と改めてじっくりと自問し答えを得ておきたいものである。

確かな希望はどこに?

聖書は、実に不思議な書物だ。その最初の言葉は「初めに、神が天と地を創造した。」だ。

そして今日、その主張の正しかったことが科学的にも証明されて来ている。今、世界のトップレベルの科学者たちの研究は、この方向で進んでいる。日本でも、こうした科学者たちの研究成果を学校で教える日が一日も早く到来することを期待する。

聖書が不思議な書物であることはそれだけではない。預言されたことが文字どおり歴史の中で実現している。聖書では、この世界の造り主はご自身のかたちに似せて造られた人類を再びご自身の許に連れ戻そうと救い主を遣わす計画をされた。そしてそのことが、実に文字通りイエス・キリストにおいて実現。

 

この救い主イエス・キリストは、私たちの背きの罪のために身代わりとなって十字架にかかり罪を赦して下さった。信じる者は罪が赦され、死後素晴らしい天の御国に迎えられるというのだ。すべての預言が真実であったように、この将来の希望も確かなものであると言ってよいだろう。乞うご一考を。

おわりに

しがらみの多いのがこの世の中だ。しかし、人の心を知るのは神様と自分だけ。確かな希望を見出したら、それをしっかりと握って心ひそかに、そして心豊かに与えられた地上の命を楽しむことが出来たら、どんなにか幸いなことではないだろうか。

聖書の言葉

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちのです。わたしを通しでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

 

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