オアシスからのニュースレター 2018.1

『死への道?それとも永遠への道?』

牧師  星野 弘治

朝に道を聞かば・・・

2018年、新しい年の幕が開きました。この年、あなたはどのような道をたどられるでしょうか。「我が道を行く」と張り切って1年をはじめられた方もおられると思います。しかし、しかし、心して進むべき道を選びたいものです。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である」と、聖書に諭されているとおりです。

 「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」孔子も人としての踏むべき道を追求することの大切さを教えています。1度限りの人生です。悔いのない生き方をしたいものです。とは言え、どう生きたらよいでしょうか。

人の踏むべき道を示されたキリスト

  「先達はあらまほしきことなり」確かに、人生においても手本となる方、目標となる方、導いてくださる方がおられたらありがたいことですね。キリストは言われました、「わたしが道です」と。キリストの生きざまにこそ、人がどのように生きたらよいか、人の踏むべき道が示されているというのです。

 キリストはその生涯を通して、天地を造られ、ご自分をこの世に遣わされた方を「父」と呼ばれました。遣わされた方のみこころを行う以外に何もなさいませんでした。キリストは遣わされた方、父の愛の中で行動していたからです。ですから、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなた方を愛します」と言っておられます。そして、御父が命を与えてこの世に生まれさせてくださった人類を愛されました。そして罪の何1つない、  聖い方なのに私達人類の罪のため、十字架で身代わりとなって死に、罰を受けてくださいました。御父は3日目にキリストを墓からよみがえらせ、信じる者には罪のゆるしを与えてくださいました。

キリストの道は永遠への道

 この十字架においてあらわされた神の義と神の愛を悟り信じた者には、罪のゆるしが与えられ神の愛を実感するとともに心の目が開かれてまことの神の実在に気づき、この愛の神の御心を求め、御心に生きたいと願うようになります。

 正に、キリストの歩まれた道をたどることができるのです。罪がゆるされたので、天地を造られた方、母の胎内で私達を形作られ、命を与えてこの世に生まれさせてくださった方を「天のお父さま」と呼ぶようになります。罪がゆるされ、神の愛を実感しながら生きるので心には安らぎがあり、周りの人には神様に愛されている愛のおすそ分けをするようになります。そして、いつの間にか謙遜と忍耐、自己犠牲と神の御心に生きる生き方に変えられてゆくのです。あなたは、この2018年どの道を選択されるでしょうか。

聖書のことば    

 イエスは彼らに言われた。「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

 

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