牧師 星野 弘治
創造主(つくりぬし)はおられる
「この世界を造られた方がおられるかも・・」こんな淡い、漠然とした感覚をお持ちの方が結構おられるようです。でも日本では、学校やテレビやラジオからは進化論なるものがまことしやかに教えられています。
しかし聖書では、この世界を目的をもって造った方がおられ、動植物はその方が種類に従って造られた。私達人間もその方の作品であり、その方がご自身のかたちに似せて霊的人格的存在として造られたのだと告げています。確かに、宇宙は人間に都合のいいように造られており、動植物も何年経っても同じ種類にとどまっており、人間も万物の霊長と言われるごとく霊的人格的存在であり、知性、道徳的観念、自由意志を持っています。また、素朴であったとしても人間であれば宗教的活動をしていることが分かっています。ですから、この世界も私達人間も造った方がおられると信じる方が現実に即しているのではないでしょうか。
その方はどんな方ですか?
この世界を造った方がおられると信じられたとしても、その方がどのような方であり、私達人間をどのように思っておられる方なのか気になるところです。
ご安心ください。そのことを私達に知らせてくれる方がおられます。その方は、前号でも申し上げた通りクリスマスにお祝いしたイエス様です。なぜなら、すでにご案内したように「いまだかつて、実際に神(つくり主)を見た人はいません。しかし、神(つくり主)のひとり子(イエス様)だけは別です。御子(イエス様)は父である神(つくり主)といつもいっしょですから、神(つくり主)について知っていることを教えてくださいました」から。
見えてくるつくり主の御愛
そのイエス様は、ある時つくり主がどういう方かをたとえ話で明らかにされました。たとえ話のあらすじは次の通りです。
「ある人に息子が2人いました。弟息子は、父親から財産をいただくと遠い外国に行ってしまいました。その外国で、息子はいただいた財産を湯水のように使い果たしてしまいました。行き詰まった彼は、ついに父のもとに帰ろうと決心し、帰途につきました。しかし、父親は遠くから彼を認め、走り寄り彼をしっかり抱きしめたのでした。こうして、父の家では祝宴が催され、息子の帰りを祝ったのでした。」
このたとえ話を通して、イエス様はあなたの帰りを待ちつづけるつくり主の御愛を明らかにしておられます。あなたも、このつくり主の御愛に応え、つくり主の御愛の中を生きてみてはいかがでしょうか。
聖書のことば
『こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、何度も口づけした』
配布版はこちら